戦前の話である。入社一年目のある新入社員が、正月に夜遅くまで残業していてお腹が減ってきた。正月なので、もちろん食堂は休みである。ふと、修養室に鏡餅があることを思い出した。
“長く置いておいてもカビが生えるだけだ。食べてしまえ”“いや、修養室のものを黙って取ってくるわけにはいかない”取ろうか取るまいかしばらく迷ったが、結局空腹には勝てなかった。
ところが運の悪いことに、翌日、幸之助が修養室にやってきて、大きいほうの鏡餅がないのに気づき、さっそく犯人が探し出された。
「すみません。鏡餅を食べてしまったので、謝りに来ました」
小さくなっている新入社員に、幸之助は、
「どや、きみ、うまかったか」
怒られるのではないかと、戦々兢々としていた新入社員は、そのひと言に心からほっとした。
後日、幸之助が事務所をまわっていたとき、その新入社員の顔を見て言った。
「どや、きみ、このごろ腹減らへんか」