京都東山山麓の真々庵でまだPHP活動を行なっていたころのことである。
幸之助の留守中、たまたま真々庵見学の機会を得た松下電器の社員が、ある部屋の一隅に小さな屏風が立てかけてあるのを見た。なにげなくその屏風を開いてみると、そこにアメリカ松下電器の職制のすべてと社員の写真がズラッと貼ってあった。アメリカの会社なので、課長職には必ず女性秘書が付いているが、その秘書の写真までピシッと貼ってある。
そのころ、幸之助はアメリカへの出張を前にしていた。その訪米に際し、アメリカ松下の社員を一人でも多く知ろうと、毎日これを見ていたのである。