昭和二十四年、戦後の混乱のなかで、松下電器はそれまでの歴史にもその後の歴史にもない、解雇や依願退職を募るという異例の対策を講じつつあった。そうしたなかで、戦前からデザイナーとして勤務していた社員が、画家として立つことを決意して退社した。依願退職の届けを出し、大阪から東京の実家に戻り、絵かきとして独立するというその社員に、幸之助は、東京に帰ってもすぐ食えるとは限らないから、自立できるまでは東京の支店に嘱託として顔を出せと、例外的な処置をとってくれた。
大阪を去る日、幸之助に挨拶ができなかった社員は、東京に戻って一カ月もしたころ、改めて大阪に幸之助を訪ねた。ひととおりの挨拶のあと、幸之助が尋ねた。
「きみは自分の意志で、自分で依願退職をしたのかい」
「はい、そうです」
「それじゃあ、きみ、損じゃないか。それならぼくに相談してくれたらよかったのに」
そのあとの幸之助の言動に社員はびっくりした。幸之助は、「それならきみをクビにしてやるよ」と言って即座に人事部長を呼んだ。履歴の上で傷がつくというのでなし、社内的な処理ですむことだから、クビにしてやるというのである。
こうして社員は、天下晴れてクビになり、依願退職から解雇への手続きの変更によって、前に受け取った退職金より多くの差額を手にすることになった。「それが松下さんから私への、思いがけずもありがたい餞別だったのである」と、画家として成功したその社員はのちに回想している。