昭和三十年代の後半、PHPの研究が真々庵で行なわれていたころのことである。幸之助が長時間、原稿に目を通したり、考えごとを続けて肩がこったとき、数人の若い所員に順番で肩もみの役目がまわってきた。
「きみ、すまんな、ちょっと肩がこってな」
所員は一所懸命である。ときには汗をかきながら、一心にもみ続ける。しばらくすると、
「おおきに、きみ、疲れたやろう。ええ気持ちやった。きみはうまいな、いちばん上手や。きっと子どものころ、ご両親の肩ようもんであげたんやろうな。それでうまくなったんやな」
こうほめられると疲れも飛んでしまう。
「まだまだ大丈夫です。もう少し強めにやりましょうか」
だれもが同じようなことを言われていると知りつつも、つぎの順番を心待ちにしていた。