入社して一年ほどで肋膜炎を患い、一カ月入院した青年社員が、社内新聞の編集担当部署に復職した。その一日目、青年はできあがったばかりの社内新聞を、幸之助のところへ届けるよう命じられた。
新聞を手にして幸之助は尋ねた。
「これは何部発行しているのかね」
「いや、すみませんが、存じません」
「一部、何ぼにつくんか」
「わかりません。実は仕事が替わったばかりですので……」
「きみはいつ会社に入ったのかね」
「去年入りました」
「一年間どこにおった」
「営業をやっておりました」
「一年も営業をやっていて、パッと新聞を見たとき、これが一部何ぼぐらいにつくものか、何ぼぐらい発行されているのか、そういうことに興味をもたんようではあかんやないか。きみは高等商業学校を出てきたんやろ。学校を出て松下に入り、一年間営業をやってきたのに、ただ持っていけと言われて、ハイと言って持ってくるだけだったら、子どもと同じやないか。そういうことではきみ、あかんよ。一年間何をしていたんや」
「あのときさんざん油をしぼられたことが、今でも非常に強く印象に残っている」というのが、この青年がのちに松下電器の副社長になってからの述懐である。