“川にダムがなければ、少し天候が狂っただけで、洪水になったり、干ばつになったりする。しかしダムをつくれば、せきとめ溜めた水をいつでも有効に使うことができる。それは人間の知恵の所産である。経営にもまたダムがなければならない。経営者は『ダム式経営』、つまり余裕のある経営をするよう努めなければならない”
幸之助は、京都の中小企業経営者が集まった講演会で、持論の“ダム式経営”の勧めを説いていた。
話が終わったとき、一人の経営者が質問をした。
「いまダム式経営が必要だと言われました。が、松下さんのように成功されて余裕があるところではそれが可能でも、私どもにはなかなか余裕がなくてむずかしい。どうしたらダムがつくれるのか教えてください」
「そうですなあ、簡単には答えられませんが、やっぱり、まず大事なのはダム式経営をやろうと思うことでしょうな」
このときの聴衆の一人に、今は世界的な企業に成長している会社の経営者がいた。創業して四、五年、まだ経営の進め方に悩んでいたころである。
この幸之助の答えにその経営者は、身の震えるような感激と衝撃を受けたという。のちに、幸之助と対談した際、彼はこう言っている。
「そのとき、私はほんとうにガツーンと感じたのです。余裕のない中小企業の時代から“余裕のある経営をしたい、おれはこういう経営をしたい”と、ものすごい願望をもって毎日毎日一歩一歩歩くと、何年か後には必ずそうなる。“やろうと思ったってできませんのや。何か簡単な方法を教えてくれ”というふうな、そういうなまはんかな考えでは、事業経営はできない。“できる、できない”ではなしに、まず、“こうでありたい。おれは経営をこうしよう”という強い願望を胸にもつことが大切だ、そのことを松下さんは言っておられるんだ。そう感じたとき、非常に感動しましてね。ただ多くの聴衆のなかには、そういう精神的なものについてはあまり好きではないものだから、何かもっと簡単な、アメリカ的な経営のノウハウでも教えてもらえるのではないかと期待していた人も多かったようですがね」