第二次世界大戦後六年たった昭和二十六年秋、幸之助はヨーロッパを訪ね、ドイツのハンブルクのホテルで宿泊した。崩れた建物がそのままになっているなど、街には戦後の匂いがまだ相当に残っていたが、ホテルの中に入ると、戦後の姿が感じられないほど整っていた。
夕食のとき、ウイスキーを注文すると、出てきたのは貴重品の「ジョニーウォーカー」黒ラベルであった。幸之助は、“敗戦国なのに、ドイツにはいろいろあるんだな。えらいものだ”と思った。
つぎにイギリスへ行った。ホテルで、食事のときウエーターに、「ジョニーウォーカーをくれませんか」と頼んだ。返事は、意外にも「ノー」であった。
「置いていないんです」
「それはおかしいね。あなたの国でジョニーウォーカーをつくっているのとちがうのですか」
「確かにそのとおりです。けれど今、英国は耐乏生活をしているんです」
「そうですか。それでないのですか。そしたら、つくったのはどのようにしているのですか」
「みんな海外に輸出しています」
幸之助は、“戦争に負けた国でジョニーウォーカーが飲め、勝った国で飲めないというのはどこかおかしい。勝った国が負けた国にものをつくらせて、それを食べるというなら話がわかるが、英国はその反対である。英国としてはやむを得ないことであるかもしれないけれど、そのやむを得ないことが起こっているというところに英国の弱さがあるのではないか。このような考え方では、力強い発展は望めないのではないか”と思った。
後年、「貿易というものをどう考えるか」という質問に幸之助は、「まず国内を満たして、そしてその余りを他に分ける、こういう考え方が貿易の基本の姿ではないかと思う」と述べている。