昭和三十三年ごろのことである。経営状況の報告のために本社に呼ばれた扇風機事業部長は、幸之助に、
「先月の決算はどうか」
ときかれ、胸を張って答えた。
「赤字です」
当時、扇風機は夏物季節商品の中心で、生産は年中行なっているが、出荷は三月ごろの年一回で、売上げの最盛期は六月から七月であった。したがって、出荷も売上げもない月は赤字で当然と考えていたのであった。
しかし、その言葉を聞いた幸之助の目が光った。
「きみ、赤字とはたいへんなことやな」
事業部長を真正面から見据えて、幸之助は言った。
「きみはここに来るまで、どの道を歩いてきた。小さくなって、すみのすみを歩いてきただろうな」
道は税金でつくられた公道である。赤字を出している事業部長は、道を通るにも通り方がある、身を縮めて通れというわけである。
「赤字についての感覚を、このときほど深めたことはありませんでした。扇風機という季節商品だけでは事業は成り立たない、年中売れる商品を考えなければならないという課題を与えられたのだと、私はそのとき考えました」
それからまもなく、事業部長は、年中商品として換気扇の開発に着手した。