昭和三十年代の初め、松下電器有力連盟店の感謝大会が東京の日比谷公会堂で催された。東京および近郊の各地区から約二千名が集まり、会場は一、二階とも満席。内輪の感謝会であり、弁当も出て、お祭りのような雰囲気で一段落した。そして幸之助が感謝の挨拶を述べようと壇上に上がったときである。
ある地区の代表者が、「今日の業界の混乱している実態を松下社長に訴えたい」という緊急動議を提出した。同時に、二階前列の数人が立ち上がっていっせいにハチマキをし、十本ほどの垂れ幕を一気に下ろした。松下電器の関係者にはいっさい知らされず、極秘に計画された行動であった。正面の壇上にいる幸之助に向かって、一人ひとりが、「現状はこのように混乱している。これを収拾解決するのは松下電器、松下幸之助さん以外にはない。立ち上がって業界の安定と粛正をやってほしい」と口々に発言した。
予測もしなかった事態に立ち往生する司会者。しかし、幸之助は壇上でひと言も聞きもらすまいとするかのように、発言にジーッと耳を傾けている。そして、
「これは松下電器だけの問題ではない。将来大きな発展をしなくてはならないこの電機業界が、今日こういうような状態で大混乱しているということは業界全体の問題であり、各メーカーの責任である。そしてメーカーの一員である松下電器の責任でもある。ですから必ず皆さんのご期待にそうように最善の努力をしましょう」
と約束した。
感謝会の終了後、担当責任者は幸之助のもとを訪ねて詫びた。
「まことに不祥事で、まったく私の不徳のいたすところです。申しわけございませんでした」
幸之助はこう応じた。
「きみ、方々で連盟店の感謝会をやってきたけど、きょうは近来になくほんとうに中身のある会やった。きょうはよかったで。真実の声をほんとうに聞くことができた」