過当競争によって業界が大きく混乱していた昭和三十年代の後半のことである。ある地区の販売店の集まりに出席した幸之助に、こんな質問が飛び出した。

 

 「松下電器が現在非常に利益をあげておられるのに比べ、販売店や代理店は、激しい競争に苦しんでいる。こういうときはもう少しわれわれのことを考えてくれてもいいんじゃないでしょうか。

 だいたい松下電器は、共存共栄と言いながら、もう一方では、われわれが何とかしてくれと言うと、すぐに自主責任経営だと言う。ちょっと都合よすぎやしませんか。あなたのおっしゃっている共存共栄と自主責任経営と、いったいそこのところはどういうふうに考えておられるんですか」

 

 “むずかしい質問が出たな、これはまずいことになった”と担当者は思った。しかし幸之助は顔色ひとつ変えていない。“なんだ、そんな当たり前のこと”といった顔つきで演台へ進み、こう答えた。

 

 「それはあなた、当たり前ですよ。だいたい、自主責任経営ができんような人、これはもう商売する資格はないですわ。あなたご自身も、自分のことに責任をもてないような人と共同で事業をやりますか。共同の金がどうなっているとか、仕事がどうなっているとか、そういうことをはっきり固めることのできんような人と手を組んで、心を合わせて全部打ち明けあって仕事ができると、あなたはお思いですか。そういう人と共存共栄できるはずがないでしょう。

 私も同様に、お取引きしていく代理店さんは、ほんとうに自主的に経営をしっかりできる人、そういう人といっしょに力を合わせて仕事をやりたいと思う。そういう人とこそ共存共栄ができるんだと思います。販売店さんのなかでだれが、経営をカッチリ自主的にできないような人と共存共栄をお考えになりますか。皆さんがしっかりなさってこそ、代理店さんとの共存共栄も成り立つのです。またその反対も同じことです。

 このように、私が申しあげている共存共栄と自主責任経営はまったく矛盾しません。それどころか自主責任経営があってこそ初めて、共存共栄は成り立つんです」