昭和三十九年秋、幸之助は、北海道のあるメガネ店の主人から一通の手紙を受け取った。そこには、ていねいな文章でこんなことが書かれていた。
「実は、先日、テレビであなたの姿を拝見しましたが、あなたのかけておられるメガネは、失礼ながら、あなたのお顔にはあまり合っていないように思います。ですから、もっとよいメガネにお取り替えになったほうがよろしいかと思います」
幸之助は、ずいぶん熱心な人がいるものだなと思い、すぐ礼状を出したものの、その後忙しさにとりまぎれ、そのことをすっかり忘れてしまっていた。
ところが、翌春、北海道へ行き、札幌の経営者の集まりで講演したとき、その主人が面会を求めてきた。
「私は、この前、あなたにお手紙を差し上げたメガネ屋です。あなたのメガネは、あのときと変わっていないようですから、私の手でぜひ直させてください」
その熱心さに幸之助はすべてを任せることにした。その夜、ホテルに店の番頭を連れてやってきた主人は、見本として持ってきたメガネを幸之助にかけさせて、顔とのつり合いやかけ具合などをていねいに調べた。
「十日ほどでできますので、でき次第お送りします。でも、まだ気がかりな点が残っています。これまでのメガネはずいぶんと前のもののようですから、これをお買いになられたあと、あなたの目の具合が少し変わられたかもしれません。できればあすにでも十分ほどで結構ですから、私の店に寄っていただけませんか。改めて調べたいのです」
十分くらいならと、日程をやり繰りしてその店に立ち寄ってみると、そこはまるでメガネの百貨店、三十人くらいもいる若い店員たちがキビキビと働いていて、客も満員の盛況である。
幸之助はきいてみた。
「なぜ、あなたは、わざわざ手紙をくださったんですか」
「メガネをかけるのは、よく見えるようにするためですが、見えるというだけでは十分ではありません。メガネは人相を変えるものですから、顔にうつるメガネをかける必要があります。
特に、あなたの場合は外国へも行かれるでしょう。もし、あなたが、あのメガネをかけてアメリカへ行かれたら、アメリカのメガネ屋に、日本にはメガネ屋がないのかと思われかねません。そんなことになれば、まさに国辱ものです。ですから、それを防ぐため、私は失礼をも顧みず、あえてあんなお手紙を出させていただいたのです」
幸之助は大阪に帰るや、社員にさっそくこの話を披露し、「お互い、このメガネ屋さんのような心構え、心意気で仕事に取り組みたいものだ」と呼びかけた。