昭和三十九年七月、熱海で行なわれた販売会社・代理店社長懇談会(通称熱海会談)のあと、幸之助は会長でありながら、営業本部長代行として第一線に復帰し、経営の改革にあたっていたが、ある朝突然、「今、事業部や営業所から取っている報告書、あるいは本社から出している定期的な通達を全部持ってきてほしい」と指示した。書類は会議用の机の上に山積みにされた。しかし、一日、二日たっても幸之助は何も言わない。集めた書類を見る様子もない。

 

 三日目に経理課長が、「これを返していただかないと仕事にならないので困ります」と言ってきた。幸之助は、「そうか。持っていきなさい」と、見もしないで返した。それからさらに日を経るうち、何人かが書類を取りに来た。が、二十日たってもだれも来ない部署も多かった。

 

 二十日目の朝、幸之助は「この書類はきょうかぎり廃止や」と言った。「二十日間も見ないですむ書類を、なんで集めたり出したりしているのか。もうやめや」

 

 幸之助は、委員会をつくって評定したりすることなく、実際に即したやり方で一気に事務の合理化をはかったのである。