人と企業の中央志向、グローバル志向が高まるなか、人口7万人の山梨県南アルプス市で高品質のリサイクルインクカートリッジを製造するジット。「松下幸之助経営塾」塾生の石坂正人社長に、創業の経緯と地域への思い、経営理念の原点を伺った。
◆リサイクルインクで人と地元を元気に(1)からの続き
志を立てる
「必要なときに、必要なものを、必要なだけ」
気配りと同時に、石坂さんは生産性を上げるために、もう一つの手を打っている。それが、当時トヨタが採用し、のちに一世を風靡した「カンバン方式」である。あるとき石坂さんは、一時期低迷していたトヨタが大躍進に転ずるきっかけが「カンバン方式」にあったことを知る。
「考えてみれば、自分は製造業のことをよく知らない。もっと勉強が必要なのではないか」
そう思って、上司に東京で開催される研修への出席を願い出たが、受け入れられなかった。ならば、と休みを取って自腹で東京まで出かけ、研修を受講するようになった。
義務で出席する研修と、自分の問題意識から出席する研修とでは、受け取るレベルが格段に違う。石坂さんは、製造業の進化を肌で感じ、これからの製造業は「カンバン方式」の考え方なくしては成り立たないことを痛感する。
それまで、ものづくりの現場は、ただ流れてきたものをどんどんつくり、つぎの工程にまわすということだけをやっていた。当然、状況によって現場の様相は変わる。ものが流れ過ぎると、途中で滞りが生ずる。作業スピードが異なる作業者が一人いても同様に滞る。結果、工場のあちこちで仕掛品が山積みになるということになる。これが生産性を悪化させているのである。
「カンバン方式」とは、「Just in Time」と呼ばれるように、「必要なときに」「必要なものを」「必要なだけ」つくるという考え方である。その考え方を徹底すれば、ラインのどこかで製品や仕掛品、材料が停滞するという現象はなくなるはずである。
これは、口で言うのは簡単だが、ものづくりの体制や考え方を根本的に見直す必要があるたいへんな変革だった。最新の学びを上司に提案するも、容易に理解は得られない。そこで、石坂さんは、大胆にも自分の製造ラインだけカンバン方式を導入し、ものづくりを進めることにしたのである。作業にあたるパートさんたちの信頼を勝ち得ていたからこそ実行できた施策であろう。
「効果はてきめんでした。すぐに結果として表れたのです。うちの製造ラインだけが生産性を飛躍的に高めることができたのです」(石坂さん)
こうして、会社も石坂さんの功績を認めざるをえなくなり、甲府工場だけでなく、他県の工場にも責任者として石坂さんを赴任させ、製造ラインの改革を実施したのであった。
石坂さんのもともとの夢は「社長になる」ことだった。会社に認められ、若くして出世を遂げたとはいえ、あくまで独立が目標である。社長の理解も得て、石坂さんは約六年間勤めたこの会社を退社した。
そして、みずからの会社、ジット株式会社を創設する。ジットとは、製造業の核心として石坂さんの目を開き、独立への道を開いてくれた思想である「Just in Time」の頭文字を取ったものである。石坂さんを含めて社員五人からのスタートだった。
しかし、ジットについて語る前に、悲しい出来事に触れておかなければならない。創業の半年前に、石坂さんの弟が交通事故で亡くなってしまうのである。享年二十四。
ぬくもりのある葬儀社を
最愛の弟だった。礼儀正しく、思いやり深い人柄で、年齢にかかわりなく多くの人から慕われていた。会社を設立したあかつきには、弟にも手伝ってもらうつもりだった。二人して尊敬される大人になり、子どものころ心ない言葉を投げかけた人たちに対して、胸を張って向き合えるようになりたかった。「さあこれから」というときに、その望みは一瞬にして断ち切られてしまった。
石坂さんは、生まれて初めて葬儀社というものに仕事を依頼した。ところが、打ち合わせもなしに勝手に事が進められていく。いったいいくらかかるのか皆目分からない。それもそのはずで、当時の葬儀は値段があってないようなもので、相手の顔色や懐具合を見て金額を言ってくるようなケースがめずらしくなかった。言われたほうは、言われるがまま支払うしかない。
「こんな理不尽なことがまかり通っていいのか?人が悲しみに沈んでいるときだからこそ、公正で安心できる葬儀ができなければならない。山梨にそんな葬儀社がないのなら、自分がつくる」
こんな思いが、石坂さんのなかにふつふつと湧き上がってきた。この思いが、のちに株式会社ジットセレモニーとして結実するのである。
さて、弟を亡くした悲しみを癒す間もなく、石坂さんはジット設立のために奔走した。土地の確保も、人の確保も順調だった。仕事も当座は前の会社が発注をしてくれた。
事業が軌道に乗り、順調に拡大を続けていたある日、今度は石坂さん本人が交通事故に遭う。幸い命に別状はなかったが、三カ月の入院生活を余儀なくされる。石坂さんは思った。
「人間いつ死ぬか分からない。時間を無駄にしていたら、やりたいと思っていたことを実現できない」
そこでベッドわきに妻を呼び、「今から冠婚葬祭の会社をつくる」と宣言した。銀行の支店長や税理士も、関係する人にはすべて病室に来てもらい、手続きを進めていった。
一九九六年、株式会社ジットセレモニーが誕生する。ジット設立から五年後のことであった。ジットセレモニーは、やさしさと人間的なぬくもりのあるセレモニーを大切にしている。不愉快な思いをした石坂さんの経験から、すべての費用をあらかじめ明示し、古い慣習にとらわれることなく家族と故人の遺志を最大限に尊重したプランを提案する。葬儀の平均費用は、品質を落とすことなく山梨県平均の半分以下を実現し、『週刊ダイヤモンド』の「葬儀社安心度・納得度ランキング」でともに県内一位を獲得している。
「葬儀とはその人の人生の集大成といえる儀式です。ですから、まごころを込めて故人の生きざまを残された人々にお伝えするのが私たちの使命です。失敗は許されず、スタッフは緊張の連続ですが、時間も曜日も関係なく自分や家族との予定を犠牲にして仕事にあたってくれます。彼らに対して、私は心の中で手を合わせて感謝しています」(石坂さん)
透明な料金体系とセレモニーに対するスタッフの献身的な姿勢――それが、老舗の多いこの業界のなかで、新参のジットセレモニーが利用者・会員を拡大している要因になっているようだ。
◆リサイクルインクで人と地元を元気に(3)へつづく
◆『PHP松下幸之助塾』2016.1-2より