国税庁によれば、日本の企業の約7割が赤字であるという。利潤追求のためにつくられている企業が利益を出せず、法人税を納めていないのは憂慮すべき状態だ。一方、岐阜市の髙井法博さん(「松下幸之助経営塾」塾生)が経営する会計事務所の顧客企業700社は、7割近くが黒字である。
なぜ、髙井法博会計事務所の顧客は黒字の率が圧倒的に高いのか。その背景には、髙井さんの事業に対する熱い志と、長年の研鑽に裏づけられた確かな経営の論理があった。
◆情熱と利他の心で切り拓いてきた人生(2)からの続き
志を立てる
経営の根幹「経営計画書」
創業時、「何のためにこの仕事をするのか」と自問自答して決めたのが、中小・零細企業のための「ビジネスサポート業」「情報発信基地」「社外重役」になる、という三つのコンセプトである。
創業まもないとき、後藤社長のはからいで後藤ひよこ時代から関係していた業界団体のアメリカ視察旅行に行かせてもらった。このとき髙井さんは、現地で働く日系二世の会計士から話を聞いて、アメリカの会計事情を知った。
それによると、アメリカの会計事務所では、単なる会計サービスだけでなく、マネジメント・アドバイザリー・サービス(MAS)と呼ばれる、企業が利益を生み出すためのトータルなサポートを行なっているとのことだった。これは髙井さんの問題意識とピタリと一致する。「早晩、日本にもこの流れはやってくるだろう」と思った。
会社員時代、経営上の問題が発生すると、税理士や弁護士、司法書士、社会保険労務士などに別々に相談しなければならず、たいへん手間がかかった。「本業で手いっぱいの日本の中小企業にこそ、経営上のどんな悩みに対しても応えてくれるサービスが必要だ」との思いがあった。それが、現在の高井会計の「ワンストップサービス」に結びついている。
もう一つ、高井会計を特徴づける大きな要素が、会社を正しい未来へ導くための「経営計画書」の作成である。
高井会計でも、開業後すぐに自社の経営計画書をつくった。初めての経営計画書は五ページだったが、現在は五〇〇ページの大部になっている。数年前まで、すべて髙井さんの手によって書かれていたが、現在では巻頭の数十ページをのぞいて、各部署の責任者が作成、その後泊まり込みの合宿を行い、一言一句におよぶまで細かくチェックする。
この経営計画書こそ、高井会計の根幹であり、すべてであるといっても過言ではない。髙井さんは「経営者にとって、経営計画書の作成以上に重要な仕事はない」と言う。なぜなら、経営計画書とは、自社の未来への羅針盤であり、迷ったとき、困ったときにいつでも原点を確認できるバイブルだからである。
作成にエネルギーをかけるだけではない。期首には全社員を集めて経営計画発表会を行い、中身を共有する。印刷した冊子は常に携帯し、見たいページがすぐに開けるようにインデックスをつけ、各自各部署でボロボロになるまで繰り返し読み込むことが求められている。ここまでやらないと、「会社の方向性がぶれていく恐れがある」(髙井さん)のだ。
だれもが日々忙しい業務をしている。新しい案件が持ち上がったり、顧客から思わぬ相談や提案を受けたり、予期せぬトラブルが発生することもある。日ごろから経営計画書の中身がからだにしみ込んでいるからこそ、とっさのときでも会社の方針に沿った判断ができる。
一方、形式的に作成・発表して事足れりとしてしまえば、多忙のなかでその内容はいつしか薄まり、やがて社員の心の中から忘れ去られてしまう。結果、会社としての正しい方向が見失われ、妥協や曖昧あい まいさを生む原因になり、仕事の質が低下し始める。それでも手が打たれなければ、ミスや不良が発生したり、ひどい場合は不正やモラルに反した行為が起こりかねない。
髙井さんは会社員時代から経営計画の策定に携わり、その重要性を痛感していた。そして、あらゆる本を読み、セミナーに参加して経営計画のつくり方を学んできた。創業以降は自社の経営計画を毎年バージョンアップさせている。
この蓄積されたノウハウをベースに開催されるのが、顧客向けの「経営計画実施作成セミナー」である。四泊五日という長丁場にもかかわらず、毎回定員の一五名を大幅にオーバーする盛況だ。受講者からは「経営計画の立て方が分かり、その有効性を痛感した」「フィロソフィーとそろばんの両方を手にすることができた」「毎月の予算実積管理を自社の文化にしたい」「仕事においても私生活においても自分のあり方を見直すきっかけになった」といった声が寄せられている。参加者の多くが、経営にとって最も大事な部分に取り組めたと感じていることが推測できる。
経営とは、毎日の判断の積み重ねである。よいと分かっていても、それが実行されなければ意味がない。このセミナーは計画の立て方だけでなく、実行の仕組みまで心に叩たたき込まれる。髙井さんの三十八年の経営人生で実証されたコンテンツであり、経営者の「考え方」までも変えるのである。参加者の多くが、「自分は今まで経営者としてやるべきことをやっていなかった」と、涙を流して帰っていく。
奨学金制度の創設を目標に
髙井さんは現在六十八歳。長年代表を務めてきたが、来年九月をもって引退し会長になることを決めている。一二のグループ法人は、順次後継者候補に任せていくつもりだ。
同時に、髙井さんにはどうしてもやりたいことがある。それは、奨学金制度の創設である。髙井さんは、後藤静一氏の奨学金に助けられてこれまでの人生を歩むことができた。「後藤氏に教えられた生き方を、自分も実践したい」との願いを持っている。髙井さんは言う。
「成功への情熱を持つことは大切です。同時に忘れてはならないのは、つねに『利他の心』を持つことです。いくら能力や熱意があっても、利己主義に陥ってしまえば正しい経営はできず、よい人生は歩めません。人生は有限です。せっかく生まれてきたのなら多くの人の役に立つ生き方をしたいものです」
髙井さんは、会社の経営計画書とは別に、個人でも「二十五年間カレンダー(人生計画書)」をつくってきたという。これは私生活における経営計画書のようなものだ。
「二十五年と言うと長い気がしますが、たった三〇〇カ月です」と言う髙井さんは、人との出会いを大切にし、一つひとつの仕事に心を込めて打ち込んできた。その心は、昭和五十六(一九八一)年から発行している顧客向け機関誌のタイトル『一期一会』にも込められている。
「成功するまでやり続ければ、必ず成功できます。一所懸命やる者を、世の中はけっして放っておきません」――髙井さんの言葉は確信に満ちていた。
(おわり)
◆『PHP松下幸之助塾』2015.7-8より