【理念継承 わが社の場合】数々の困難を乗り越えて発展させてきた会社をだれにどう引き継ぐのか。松下幸之助経営塾塾生の「事業継承(承継)」事例~ニッコー~をご紹介します。

 

「本物の味」「安全な食」を次代に(1)からの続き

 

ナチュラルな流れで「第二創業」へ向かう品質重視の食品会社

食は自然の恵み 経営は工夫と努力

食の不安は、それがどんな材料でどのようにつくられているのか分からない、というところから来ている。そこでニッコーでは、すべての食材を産地直送、生産者が見えるものに限定している。こうして、出自の分からない食材が入ることはなく、自然の風味を損なう化学調味料、人体にどんな影響があるか分からない遺伝子組み換え原料も使用しない「安全・安心」な食品が提供できるのである。
 
「食べ物とは、自然の恵みをいただくことですからね。だから自然を大切にしないといけない。昔の農家の人は、皆さん自然に対して感謝していらっしゃいました。そんな食の原点に、もう一度帰ることが必要です」(貞雄さん)
 
生物や農業の分野でも科学は目覚ましい発展を遂げ、飽食の時代を背景に次々と新しい食材・食品が開発されている。生産現場でもオートメーション化が図られ、あたかも工業製品ができあがるように食品が生産され、流通している。食品がもともとは生命であり、自然の恵みで生み出されるものだとは、よほど意識しないかぎり、私たちはふだん忘れているのが現実ではないだろうか。
 
食が巨大な「産業」になっている現代社会では、食品もまた商材であることに変わりなく、効率的にビジネスを回し、利益を上げるということが優先される。一方、家庭での食は本来、家族の健康と成長を願ってつくられるものである。
 
ニッコーがめざしているのは、そんな家庭で提供されるような食品なのであろう。ただし、同時に商売としても成立させなければならない。そのバランスをどうするのか。貞雄さんの考え方は、これもいたってシンプルだった。
 
「実家の豆腐屋では、朝早くから家族総出で働いていました。商売の基本は、まじめによく働くことです。それと、商売には入ってくるお金と出ていくお金があります。入ってくるお金を大きくし、出ていくお金をできるだけ小さくすることです。お金をかけて楽をしようとするのではなく、できることは何でも自分たちで手をかけて行なってきました。そのためには、知恵と工夫も大切です。たとえば、大豆を煮るのに毎日たくさんの燃料が必要です。私は近くの製材所へおがくずをもらいに行っていました。タダでもらえるからです。こうすれば燃料費がかかりません。よく働き、知恵と工夫を重ねる。私がやってきたことはそれだけです」
 
たしかに、ニッコーの本社屋を見ても、体裁をよくするためだけのものは何もない。質素な造りで、社長も他の社員と同じ部屋で机を並べて仕事をしている。豪華な応接室などはなく、今回の取材も玄関わきに置かれた小さな打ち合わせテーブルで行なった。会長も社長も、社員が仕事で行き来するなか、何も包み隠さず取材に応じている。こんなところからも、ニッコーの等身大の経営姿勢とオープンな社風を感じることができた。
 
この理念と風土を受け継ぎ、発展させようとしているのが、貞雄さんの長男、山﨑雅史社長である。
 

上に立つ者の役割と心得

ニッコーの創業は、雅史さんが九歳のときである。ちょうどそのときに、弟(次男)が生まれた。忙しく働く両親を横目に見ながら、雅史さんは弟の子守役を務めていた。
 
添加物なしの食品をつくるために、保存料の必要のない冷凍食品にする。当時は今ほど冷凍技術が発達していなかったので、たくさんの試作が必要で、何度も失敗を重ねたらしい。当然、資金に余裕はない。学校へ給食費を持っていくのに、家じゅうから小銭をかき集めたこともあった。そんな様子を見て、雅史さんは、自分の家には金銭的な余裕がないこと、商売を続けていくにはムダなお金はいっさいかけられないということを、肌身で感じていく。
 
家族で出かけるときも、業務用のトラックだった。両親のあいだに、雅史さんが弟をひざに抱えながら座った。初めて乗用車に乗ったのは中学生になってから。「こんなに速い車があるんだ」と感動したという。
 
創業社長の長男という立場は、周囲からはおのずと後継者という目で見られる。しかし、雅史さんの話からは、それほど後継を意識したわけではなく、大学を卒業後、自然な流れでニッコーに入社し、業務に親しんでいったという印象だった。
 
貞雄会長にも、そのことを尋ねてみたが、「特に無理にということは考えていなかった」という答えだった。
 
「ただ、夫婦が楽しく仕事をしている、という姿勢は大事にしていました。毎日苦しそうにしていたら、そういうところに来たいとは思いませんから。たとえ状況は厳しくとも、深刻な顔はしない。これを心がけていました」
 
これは後継者をつくるというだけでなく、ともに働く社員のモチベーションを維持するためにも大切なことだ。
 
入社後の雅史さんが、ずっと順風満帆だったわけではない。営業担当になったとき、それまで主力だった社員が次々と退社して、職場が危機的な状況に陥ったこともある。ここが踏んばりどころと、なんとかお客様に迷惑がかからないように全力を挙げ、新規顧客の獲得にも力を注いだ。雅史さんより社歴が長く、業務に精通する社員は多い。そういった社員も含めて全社を取りまとめていくことは、今でも課題だと感じている。
 
雅史さんが心の師と仰いでいるのは、イエローハット創業者で、日本を美しくする会相談役の鍵山秀三郎さんだ。鍵山氏からの学びは、
「トップは一番上の仕事と一番下の仕事をしなさい」
ということだった。
 
社長になる前、専務だった時代は、最終的な責任は取らなくてもよかった。しかし、社長になったからには、すべて自分が引き受けなければならない。その重圧は、なってみて初めて実感できるものかもしれない。そのとき、社員の支えを得るためには、「一番上」の仕事とともに、「一番下」の仕事をどれだけしているかにかかってくるというのである。
 
ニッコーは「SJクラブ」という研修グループに所属し、長年掃除に取り組んでいる。SJクラブとは、鍵山秀三郎氏のもとで掃除を学び、その普及に努めてきた亀井民治氏(システムジャパン代表)が主宰する組織で、ニッコーを含めその趣旨に賛同した企業五社が参加し、定期的に掃除や5S活動の合同研修を行なっている。会社の重要な柱となっている掃除。トップみずからが下坐行(げざぎょう)(人よりも一段と低い位置に身を置く修行)を行う姿勢が、ニッコーの礼儀正しく風通しのよい雰囲気をつくっているように思えた。
 
◆『PHPビジネスレビュー松下幸之助塾』2014年3・4月号より
 

経営セミナー 松下幸之助経営塾