数々の困難を乗り越えて発展させてきた会社をだれにどう引き継ぐのか――。松下幸之助経営塾塾生の「事業継承(承継)」事例~日辰~をご紹介します。

 

◆「蕎麦店への卸を超え店舗経営サポートも(1)」からのつづき

 

「商いは生きもの」の精神で顧客ニーズの一歩先を行く

“第2の創業者”として

清辰さんは、日本企業の行く末を心配している。
 
「日本を代表するような大きな会社の社長でも、『ライバルをたたき落とす』なんてことを平気で言う。商売というのは相手に勝つものではなくて、自分に勝っていくものです。トップが『相手をやっつける』という考え方を持っているようでは、好調のときは思い上がるし、逆にピンチになったときはだれも助けてくれません」
 
日辰も成長の過程では、競合相手などから幾度も意地の悪い仕打ちを受けてきた。清辰さんはその都度、対抗策を練ることに躍起になるのではなく、まずみずからの襟を正し、お得意先、取引先のために誠心誠意つくすことだけを考えてきたのである。
 
若い人たちの働く意識にも危機感を抱く。
 
「世の中が豊かになったことはいいことですが、反面失ったものも大きくはないでしょうか。みんなが事なかれ主義に陥っているように感じます。『まあ、なんとかなるだろう』ではなく、『自分がなんとかする』と覚悟を持って向き合わないと、生き延びていけません」
 
そんな会長の叱咤激励の矢面に立つのが、社長の梅原清幹さんである。
 
清幹さんは大学を卒業後、大手食品卸会社に就職し、中国地方で営業を担当していた。日辰の後継者という意識はあまりなく、目の前の仕事に懸命に取り組む日々を過ごしていた。しかし、周囲が放っておかなかった。子どものころからよく知っている幹部社員から毎日のように電話がかかってくる。とうとう根負けして帰ってくることになった。清幹さん二十九歳のときだった。
 
ちょうど開設したばかりの営業所を任されることになる。バブル崩壊、第二次流通革命と、地方の食品卸にとっては厳しい状況を経験してきた。これからの食品卸業に対する問題意識も高く、清幹さんはさまざまな改善・改革案を提示するが、清辰さんが築いてきた日辰のスタンスとはなかなか合致しない。
 
「三十代は茨の道でした」と清幹さんは述懐する。“二代目の葛藤”は長かったようだ。
 
清辰さんからすれば「まだまだ苦労が足りない」そうだが、それでも三年前の平成二十三(二〇一一)年、社長を清幹さんが継承することになった。
 
ゼロからスタートして百までつくり上げたのが清辰さんだとすれば、百を受け継いで二百にまで育てる使命を帯びたのが清幹さんである。創業の苦労というものはもちろん大変なものであるが、いきなり百からスタートして二百に育て上げるのは、ゼロからとはまったく異質の苦労があるのではないだろうか。
 
事業継承から三年、清幹さんは創業の精神を大切にしながら、新たな価値の創造にチャレンジしている。それは、本人の口からそのような言葉が出たわけではないが、「第二創業」の精神のように思えた。
 
 
◆『PHPビジネスレビュー松下幸之助塾』2014年7・8月号より
 
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