Q113:幸之助の以下のエピソードで当てはまるものは?
昭和36(1961)年、松下通信工業はトヨタ自動車から、カーラジオの値段を20パーセント下げてほしいと要求されました。幸之助はどのような決断を下したでしょうか?
(1)カーラジオの設計や製造工程を一から見直す
(2)トヨタ自動車にカーラジオを販売することをやめる
(3)カーラジオは赤字として他の商品で利益を出すようにする
解答&解説コラム
(1)が正解です。
昭和36(1961)年のあるとき、幸之助が松下通信工業を訪れると、幹部社員たちが深刻な表情で会議をしていました。聞けば、カーラジオの納品先であるトヨタ自動車から値段をただちに5パーセント、むこう半年で15パーセント、合計20パーセント下げてほしいという要望があったといいます。貿易自由化に直面していた当時、トヨタ自動車では輸入車に対抗すべく、徹底的な合理化を図っていたのです。ところが、まだ始めて間もない事業だった松下のカーラジオは、ようやく3パーセントの利益が得られる程度であり、この要求に応じることは困難でした。しかし幸之助は、次のように指示を出します。
「トヨタさんは日本の自動車産業を維持、発展させていくために、日夜心をくだいて努力しておられる。何としてもこの要求に応じなければならない。性能は絶対に落とさず、先方の求めに従い、値下げしてなお適正利益があがるように、設計や工程を根本的に見直してはどうか」
技術者たちが抜本的な改良に取り組んだ結果、1年あまりで20パーセントの値下げと、10パーセントの利益確保を実現することができました。この経験をふり返って幸之助は、「事業でも何でも、“できない”と考えてしまえばそれで終わりである。“できるはずだ。どうすればできるか”と考えていってこそ、困難なこと、一見不可能に思えることもできるようになる。こういう考え方は、お互いが物事を決断する際に大切なことの一つではないか」と述べています。