昭和三十三年五月、幸之助が工場建設候補地の検分のため、神奈川県湘南地区を訪れた。辻堂工場と蓄電池工場の責任者が案内役を務めて、何カ所かを丹念に調べ、終わった時刻は十二時を少し過ぎていた。
 幸之助は昼食をとろうと、車を稲村ヶ崎へと向けさせた。

 「わしなあ、ゆうべ新橋の鮨屋へ、握り五人分を朝つくっておいてくれと頼んでおいたんや。けさ出しなに持ってきた。磯でお弁当開くのもええやろ」

 

 波打ち際にござを広げて、秘書が弁当を配ろうとしたとき、幸之助は、
 「きみ、そのうち二個に小さなひもで印をしてるやろ、それが関東味できみとA君の分や。三個は関西味で、B君とC君とわしの分や」
 この気くばりに四人の社員は恐縮し、そして感動しつつ弁当を味わった。