北海道のメガネ屋さん――共存共栄への願い〈5〉
昭和三十九年秋、幸之助は、北海道のあるメガネ店の主人から一通の手紙を受け取った。そこには、ていねいな文章でこんなことが書かれていた。 「実は、先日、テレビであなたの姿
きみはなぜ学校を出られたか――共存共栄への願い〈4〉
ある課長を、工場長に任命したときの話である。最近の仕事のことなどについてひとしきり懇談していたが、幸之助は突然話題を変えて、こんなことをきいた。 「ところできみ、学校
万国博の日傘――共存共栄への願い〈3〉
昭和四十五年に開かれた大阪万国博覧会の松下館は、会期中、七百六十万人という入場者でにぎわったが、開館まもないある日、つぎのようなことがあった。 入場者の整理のため、入館待
守りとおした男と男の約束――共存共栄への願い〈2〉
戦前のこと、ある電気器具をめぐって、業界で激しい過当競争が行なわれたことがあった。原価を十とすれば損を承知で八、七といった安値で売る。売れば売るほど損が出る。そんな安売り競争
自主責任経営は共存共栄の第一歩――共存共栄への願い〈1〉
過当競争によって業界が大きく混乱していた昭和三十年代の後半のことである。ある地区の販売店の集まりに出席した幸之助に、こんな質問が飛び出した。 「松下電器が