昭和四十五年に開かれた大阪万国博覧会の松下館は、会期中、七百六十万人という入場者でにぎわったが、開館まもないある日、つぎのようなことがあった。
入場者の整理のため、入館待ちをしている人々の列を映し出す事務室のテレビ画面に、どういうわけか幸之助の姿が映っている。
“いつも来られるときは事前の連絡があるのに、いったいどうしたことだろう”と驚いた副館長が、あわてて飛んでいって、「どうされたのですか」と尋ねた。
「いや、何分くらい待ったら入れるのか、今、計ってみているのや」
その日、幸之助は、できるだけ待ち時間を少なくするために、館内への誘導法を考えよ、夏に備えて待つ人のために日よけをつくっておくように、という二つの指示を出している。その結果、館内への誘導の仕方が改善され、夏には暑さをしのぐために野立て用の大日傘が立てられるとともに、入場待ちの人たちに紙の帽子が配られるようになった。
松下館前に立てられた大日傘
入場待ちの人たちには紙の帽子が配られた