昭和二十年代の中ごろ、ナショナルラジオの音質について、芳しくない評判があったときのことである。東京に社用で赴いた幸之助は、代理店の人たちから、“松下のラジオは、どうも鼻づまりだ”という不満を聞かされた。さっそく幸之助は、大阪の本社にいるラジオの販売責任者に電話をかけ、命じた。
「あした、朝十時に帰るから、それまでに他のメーカーのものも含めて、ラジオの試聴ができるように準備しといてくれ」
翌日、幸之助は十時きっかりに到着した。しかし、準備はまだ整っていなかった。担当者がいささかならずうろたえぎみに準備を急ぐなか十分経過、二十分経過……。ようやく準備が完了したとき、幸之助が穏やかな口調で口にした言葉はつぎのようなものであった。
「きみ、きみはわしを三十分間待たしたな。わしはだいたい一時間に何十万円かは儲けんといかん立場におるんや。したがってきみは、わしにその半分を出さんといかんで」