自らが創設したPHP研究所が30周年を迎えた昭和51年、松下幸之助は、21世紀初頭の日本はこうあるべきだ、こうあってほしいとの願いをこめて『私の夢・日本の夢 21世紀の日本』という本を出版しました。それは未来小説という体裁をとっていますが、いわば松下幸之助の提言の集大成ともいえるものでした。
松下幸之助が描いた「理想の日本」「理想の日本人」とは、いったいどんなものだったのでしょうか。
◆もしも人間の力で瀬戸内海をつくると…… 【自然観2】 からのつづき
松下幸之助が描いた21世紀の日本
過疎過密のない国――part3
昭和三十年代後半からのいわゆる高度成長期に、欧米先進国の経済成長率が六パーセントを少し上回る程度であるのに対し、日本は一五パーセント前後の高い成長率を示し続けた。しかしそうした急激な経済の進展がもたらしたものは、自然破壊や公害だけではなかった。交通事故の急増、物価の上昇、そして大都市への人口集中によって引き起こされる過疎過密など、それまでには考えられなかったさまざまな社会問題が、次々と起こってきた。
それらのなかで、特に過疎過密の問題に対して松下幸之助は、日本の国土を“日本丸”という船にたとえ、このままいけば一方に傾いて転覆するか、あるいは沈没しかねないと危機感を募らせていた。そしてこの問題を解決するためには、まずは人口を積極的に地方に分散させる政府の取り組みが必要であるとして、道路や空港、港湾の拡充、建設を押し進め、地方開発を図っていくことを提唱した。
さらには、バランスある日本の発展を図るために、地方自治体の主体性をより高めることが必要であるとして、府県制を改め道州制を採用することを提案した。
道州制とは、地理的、経済的その他いろいろな条件を勘案して、最も適切な境界を新たに設定し、それによって行政規模の適正化を図るとともに、中央政府の仕事、権限を各州へ委譲して、政治の主体性を地方におこうとするものである。これによって、各州がそれぞれの特色に応じた政治行政を行なうことができるようになり、地方の活性化が図れると松下幸之助はいう。
また、そうした政治、行政面での改革の一方で、国民の協力、たとえば民間企業の工場の移転といった取り組みが必要であるとする。普通、企業が工場を建設しようとするときには、まず第一に経済性ということを考え、立地条件のいいところを選ぶ。それは、すぐれた製品をより安く消費者に供給するという企業の使命、社会的責任という点からいえば当然のことである。しかし、過疎過密によって“日本丸”が転覆しかかっているときに、企業としてもただ経済性を追うだけでいいのか。これからは、たとえ多少経済性が劣るということがあっても、あえて人口の減少が著しい県へ工場を建設していくことも必要であり、それがより高い立場における企業の使命として、今日要求されていると訴える。事実、松下幸之助は、そうした考えのもと、実際に地方への工場進出を推進したのである。
四季が巡り、山の美、海の美に恵まれた日本の自然をこよなく愛した松下幸之助は、そこに住み、生きる人にとって住みよい国土とは何かを、真剣に考え、求め続けたのである。
(おわり)
◆『[THE21特別増刊号]松下幸之助の夢 2010年の日本』(1994年10月)より
筆者
大江弘(PHP研究所社会活動部長)
筆者の本
関連項目
・松下幸之助の社会への提言「観光立国への提言」
・松下幸之助の社会への提言「置州簡県」
・松下幸之助の社会への提言「私の夢・日本の夢 21世紀の日本」
・松下幸之助の政治・経済・社会・国家観
・松下幸之助のPHP活動〈21〉「『観光立国の弁』とその反応」