自主責任経営は共存共栄の第一歩――共存共栄への願い〈1〉
過当競争によって業界が大きく混乱していた昭和三十年代の後半のことである。ある地区の販売店の集まりに出席した幸之助に、こんな質問が飛び出した。 「松下電器が
ぼくは婦人を解放した――繁栄への発想〈1〉
昭和三十六年ごろから、松下電器は海外からの賓客を迎えることが目立って多くなった。ソ連のミコヤン第一副首相もその一人である。 そのとき、幸之助とのあいだでこんなやりとりがあ
紀ノ川駅の別れ――人生断章〈1〉
幸之助が社会に第一歩を踏み出したのは、尋常小学校四年の秋のことである。 生家は村でも上位に入る小地主で、かなりの資産家であったが、幸之助が四歳のとき、父親が米相場で失敗、