人生
紀ノ川駅の別れ――人生断章〈1〉
幸之助が社会に第一歩を踏み出したのは、尋常小学校四年の秋のことである。 生家は村でも上位に入る小地主で、かなりの資産家であったが、幸之助が四歳のとき、父親が米相場で失敗、
松下幸之助が9歳で大阪に奉公に出て、22歳で独立、多くの人々と苦楽を共にしつつ、小さな町工場を世界的企業に育てあげた過程には、さまざまな出来事がありました。
社員の人たちや得意先の方々、さらにはわが子のように愛情を注いできた製品とのあいだに織りなされた数多のドラマ――。幸之助とともに仕事をしてきた人々の心の中には、今もなお、そうした一場面一場面が忘れえぬ感動として残っています。
そのようなエピソードの数々を、生前、松下幸之助と身近に接してこられた方々のお話や資料、あるいは幸之助自身の著述をもとにご紹介します。
(本文中の社名、組織名および団体名等は当時のもの。逐次追加更新)