涙の熱海会談――共存共栄への願い〈17〉
共存共栄

涙の熱海会談――共存共栄への願い〈17〉

 昭和三十九年当時といえば、各業界とも深刻な不況に直面しつつあった。電機業界もその例外ではなく、全国の松下電器系列の販売会社、代理店も厳しい状況にあるという。ただならぬ事態を察知し

十年間辛抱してみい――人を見る眼〈16〉
人材育成

十年間辛抱してみい――人を見る眼〈16〉

 松下電器が九つの分社に分かれていた昭和十一年のこと。その分社の一つ、松下乾電池株式会社で、その年に配属された新入社員、三十五、六人が集められ、幸之助を囲む懇談会がもたれた。 その

大忍――情を添える〈16〉
心くばり

大忍――情を添える〈16〉

 上から数えて二十五番目の取締役が社長に就任した、昭和五十二年二月の松下電器の社長交代は、その意外さで世間をあっと言わせ、マスコミ、財界の格好の話題となった。その新社長の就任からし

借金依頼を断わって感謝される――共存共栄への願い〈16〉
共存共栄

借金依頼を断わって感謝される――共存共栄への願い〈16〉

 かつて金融が逼迫して、いわゆる金づまりのおりに、ある友人が、五千万円ほど融通してほしいと、幸之助のところに頼みに来た。  話を聞いてみると、売掛金の回収が思うようにいかず、銀行に

この土地、全部わしのもんや――繁栄への発想〈16〉
発想法

この土地、全部わしのもんや――繁栄への発想〈16〉

 ある日、幸之助は京都洛西にある鮎料理で有名な料亭を訪ねたが、部屋に入ってすぐ同行の青年にこう言った。「きみな、このあたりの土地は全部わしのもんやで」「ほんとうですか。へえー」

信用を形に表わしてほしい――経営の姿勢〈16〉
経営

信用を形に表わしてほしい――経営の姿勢〈16〉

 松下電器が住友銀行と取引きを始めたのは、昭和二年のことである。新しくできた西野田支店の行員の熱心な勧誘にほだされて、取引きしてもよいという気になった幸之助は、そのとき一つの条件を

初めての新聞広告――仕事を見る眼〈16〉
仕事

初めての新聞広告――仕事を見る眼〈16〉

 昭和二年四月、画期的なナショナルランプが誕生したとき、幸之助は、ランプ一万個を市場に見本として無償で配布するという大胆な販売方法をとったが、それでもまだ十分ではないと考え、新

鬼門、気にせんとこ!――人生断章〈16〉
人生

鬼門、気にせんとこ!――人生断章〈16〉

 昭和八年、松下電器は、大阪の北東郊外に位置する門真村に新本店と工場群を建設し、事業の本拠を大開町から移した。大開町の工場では、日々の生産が追いつかなくなったからである。  寝

煉物技術の公開――人を見る眼〈15〉
人材育成

煉物技術の公開――人を見る眼〈15〉

 大正七、八年ごろ、ソケットやプラグ、扇風機の碍盤の材料はアスファルトや石綿、石粉などを調合してつくる煉物といわれるものであった。その煉物の技術は、今でいえば企業秘密、多くの工場で

奥さん、長いあいだどうもありがとう――情を添える〈15〉
心くばり

奥さん、長いあいだどうもありがとう――情を添える〈15〉

 公の席では滅多に妻むめののことを口にしない幸之助が、松下電器の創業五十周年の記念式典にはむめのとともに出席した。そして、社員への挨拶のなかで、つぎのように語った。 「私は"奥

仕事の目的は......――共存共栄への願い〈15〉
共存共栄

仕事の目的は......――共存共栄への願い〈15〉

 昭和十四、五年ごろのこと。九州営業所の二十代の若い所長が、ある月、目標を立てて、こう所員に呼びかけた。  「ともかくこの月のこの目標をなんとしても達成しよう。達成するまでは

赤字とネオン代――繁栄への発想〈15〉
発想法

赤字とネオン代――繁栄への発想〈15〉

 昭和三十一年、九州松下電器はゼロから出発した。数年は利益が出ず、赤字の累積額は資本金の数倍にも達した。年二回、幸之助に決算報告をする担当責任者は、いつも申しわけない気持ちでい