「紅白歌合戦」のマイクロホン――情を添える〈6〉
マイクロホンの研究開発を担当していたある社員の夢は、NHKの「紅白歌合戦」でナショナルのマイクロホンを使ってもらうことであったが、十年に及ぶ努力が実を結んで、ある年、ついに自
きみは代理店の番頭やで――共存共栄への願い〈6〉
東京のある代理店が倒産した。東京営業所長は、直ちに再建策をつくって奔走したが、それまで懸命に手伝いをしてきた会社の倒産であっただけに、裏切られたような気がして、代理店の社長を
モーターは無限に伸びる――繁栄への発想〈6〉
昭和九年十一月、松下電器は新しい事業分野である小型モーターの生産販売を開始した。 当時のモーター業界は、第一次世界大戦で急速に伸び、昭和四、五年の不況でいっそう地盤を固め
きみはどの道を歩いてきた――経営の姿勢〈6〉
昭和三十三年ごろのことである。経営状況の報告のために本社に呼ばれた扇風機事業部長は、幸之助に、 「先月の決算はどうか」 ときかれ、胸を張って答えた。 「赤字です」
変えていいことと、いけないこと――仕事を見る眼〈6〉
昭和四十年代の初め、毎年発行部数を伸ばしてきたPHP研究所の月刊誌『PHP』が、百万部を超えて、その伸びがいくぶん鈍ってきたときのことである。編集がマンネリになったからではな
危機のなかの慰労会――人生断章〈6〉
昭和二十三年秋。松下電器はGHQから七項目に及ぶ制限を受け、再建もままならず危機に瀕していた。そんななかである日、幸之助は友人の邸宅の一部を借り、在阪の幹部数十名を招いてすき
徹すれば神通力が――人を見る眼〈5〉
昭和三十五、六年のこと。当時の冷蔵庫の販売は、各メーカーが十月にその年の新製品をいっせいに発表、その展示会をディーラーが見てまわって注文するというかたちで行なわれていた。した
きみ、いちばん上手や――情を添える〈5〉
昭和三十年代の後半、PHPの研究が真々庵で行なわれていたころのことである。幸之助が長時間、原稿に目を通したり、考えごとを続けて肩がこったとき、数人の若い所員に順番で肩もみの役
北海道のメガネ屋さん――共存共栄への願い〈5〉
昭和三十九年秋、幸之助は、北海道のあるメガネ店の主人から一通の手紙を受け取った。そこには、ていねいな文章でこんなことが書かれていた。 「実は、先日、テレビであなたの姿
まず国内を満たしてから――繁栄への発想〈5〉
第二次世界大戦後六年たった昭和二十六年秋、幸之助はヨーロッパを訪ね、ドイツのハンブルクのホテルで宿泊した。崩れた建物がそのままになっているなど、街には戦後の匂いがまだ相当に残
自分ばかりしゃべりはった――経営の姿勢〈5〉
昭和三十六年秋、幸之助が九州のある取引先の工場を訪れたときのこと。三十分ほど工場を見学し、そのあと社長、工場長と十分間ほど歓談した。 帰りの車中で幸之助は、随行していた九
とどめをさす――仕事を見る眼〈5〉
昭和二十年代後半、松下電器東京特販部は、生産販売を始めたばかりの電気冷蔵庫を、当時日本一といわれていたデパートに納入すべく懸命の努力を重ねていた。 当時、そのデパートの電