きみならできる!――人を見る眼〈7〉
昭和二年、松下電器が初めてアイロンの開発を手がけたときのことである。幸之助は若い技術者を呼んで言った。 「今、アイロンというものを二、三の会社がつくっているが、使って
叱ってもらえる幸せ――情を添える〈7〉
あるとき、すでにかなりの地位にある社員が、ふとした過ちを犯した。これは見過ごしにはできないということで、幸之助は譴責状を渡して注意することにした。 「きみのやったことに
反対者も協力者に――共存共栄への願い〈7〉
昭和四十年。二月から新販売体制をスタートさせることになった松下電器の各地区営業所長は、販売会社、販売店の理解を得るために奔走していた。 いよいよスタートも間近というあ
二十八歳の技師長――繁栄への発想〈7〉
昭和二十六年の一月から四月まで、幸之助は初めてアメリカに渡り、滞在した。そのとき、ある会社の機械工場を訪ね、四、五十歳くらいの三人の技師たちと話しあう機会を得た。いろいろと話
神さんのデザイン――仕事を見る眼〈7〉
昭和三十年ごろ、テレビの新製品を出すに先立って、役員会が開かれた。テレビ事業部の担当者が、五、六台のテレビを持ち込み、検討が始まった。みな新しいデザインの新製品である。重役の
唯一無二の宝物――人生断章〈7〉
最初の奉公先の火鉢店が、幸之助が入って三カ月で店を閉めたため、幸之助は親方の知りあいの五代自転車商会に移った。大阪船場の堺筋淡路町。商都大阪でいちばんの商売の中心地である。幸
文句の多い職人――人を見る眼〈6〉
関東大震災のあった大正十二年もまもなく終わろうとしているころであった。幸之助が工場の鍛冶場に入っていくと、見なれぬ小柄な若い職人が旋盤を使っている。どこの人かと思って尋ねると
「紅白歌合戦」のマイクロホン――情を添える〈6〉
マイクロホンの研究開発を担当していたある社員の夢は、NHKの「紅白歌合戦」でナショナルのマイクロホンを使ってもらうことであったが、十年に及ぶ努力が実を結んで、ある年、ついに自
きみは代理店の番頭やで――共存共栄への願い〈6〉
東京のある代理店が倒産した。東京営業所長は、直ちに再建策をつくって奔走したが、それまで懸命に手伝いをしてきた会社の倒産であっただけに、裏切られたような気がして、代理店の社長を
モーターは無限に伸びる――繁栄への発想〈6〉
昭和九年十一月、松下電器は新しい事業分野である小型モーターの生産販売を開始した。 当時のモーター業界は、第一次世界大戦で急速に伸び、昭和四、五年の不況でいっそう地盤を固め