初めての東京出張――経営の姿勢〈3〉
経営

初めての東京出張――経営の姿勢〈3〉

 商売を始めてまもないころ、幸之助は当時つくっていた二灯用差し込みプラグを東京でも売りたいと考えた。  そこで、それまで一度も行ったことのない東京へ出かけ、地図を片手に一日中

魚屋で勉強してこい――仕事を見る眼〈3〉
仕事

魚屋で勉強してこい――仕事を見る眼〈3〉

 戦前の話である。幸之助がある幹部に言った。  「きみなあ、あしたから会社へ来なくていいから、魚屋へ二、三カ月、丁稚奉公に行ってくれ」    幹部は、幸之助が何

五銭白銅の感激――人生断章〈3〉
人生

五銭白銅の感激――人生断章〈3〉

 幸之助は九歳のとき、単身大阪に奉公に出たが、最初の奉公先は、八幡筋の宮田火鉢店であった。親方と何人かの職人が火鉢をつくり、それを店頭で売るという半職半商の商店で、ここで、朝早

一度目は経験、二度目は失敗――人を見る眼〈2〉
人材育成

一度目は経験、二度目は失敗――人を見る眼〈2〉

 昭和三十年ごろのこと、競争の激化によって、電機業界は非常に混乱していた。松下電器の代理店のなかにも倒産するところが出て、被害総額は数百万円にものぼった。    

一人も解雇したらあかん――情を添える〈2〉
心くばり

一人も解雇したらあかん――情を添える〈2〉

 昭和四年五月、松下電器は待望の第二次本店・工場の新築がなり、第二の発展期を迎えた。従業員約三百名、まだ町工場の域を出ないとはいうものの、発展に発展を続ける姿は業界でも目立つ存

守りとおした男と男の約束――共存共栄への願い〈2〉
共存共栄

守りとおした男と男の約束――共存共栄への願い〈2〉

 戦前のこと、ある電気器具をめぐって、業界で激しい過当競争が行なわれたことがあった。原価を十とすれば損を承知で八、七といった安値で売る。売れば売るほど損が出る。そんな安売り競争

まず願うこと――繁栄への発想〈2〉
発想法

まず願うこと――繁栄への発想〈2〉

 “川にダムがなければ、少し天候が狂っただけで、洪水になったり、干ばつになったりする。しかしダムをつくれば、せきとめ溜めた水をいつでも有効に使うことができる。それは

「産業人の使命」を知った日――経営の姿勢〈2〉
経営

「産業人の使命」を知った日――経営の姿勢〈2〉

 昭和四年の未曾有の不況を乗り切ってから三年、松下電器は順調な歩みを見せていた。店員約二百人、工員約千人。事業分野も、配線器具、電熱器、ランプ・乾電池、ラジオの四部門、製造品目

それでも松下の人間か――仕事を見る眼〈2〉
仕事

それでも松下の人間か――仕事を見る眼〈2〉

 幸之助が、トヨタ自動車から講演を依頼された。当日は、名古屋の特機営業所所長が名古屋駅まで車で出迎えた。トヨタ自動車の本社までの車中で幸之助は、沿道の建設中の建物について、「あ

運命の分かれ道――人生断章〈2〉
人生

運命の分かれ道――人生断章〈2〉

 大正七年に松下電気器具製作所を創設し、ようやく軌道に乗り始めた翌八年の暮れのことである。大阪電灯会社時代の知人がひょっこり訪ねてきて、幸之助に一つの提案をした。  

役に立たない人はおらん!――人を見る眼〈1〉
人材育成

役に立たない人はおらん!――人を見る眼〈1〉

 昭和三十年代の前半、あちこちに事業所が増えつつあった松下電器の急成長時代のことである。ある営業所長が、幸之助に、自分のところは新しい職場で、いろいろなところから人をまわしても

このごろ腹減らへんか――情を添える〈1〉
心くばり

このごろ腹減らへんか――情を添える〈1〉

 戦前の話である。入社一年目のある新入社員が、正月に夜遅くまで残業していてお腹が減ってきた。正月なので、もちろん食堂は休みである。ふと、修養室に鏡餅があることを思い出した。