松下幸之助のPHP活動

御井敬三の飛鳥保存運動――PHP活動〈74〉

 全盲の鍼灸師であった御井敬三氏(写真)が最初にPHP研究所を訪れたのは、昭和43(1968)年7月3日です。松下幸之助によれば、元々は当時松下電器副社長だった高橋荒太郎氏を担当し

松下幸之助のPHP活動

立花大亀による『般若心経』講義――PHP活動〈73〉

 大徳寺の管長代務などを務めた立花大亀氏は、松下幸之助と長く交流を保った臨済宗の僧侶でした。初めて会ったのは、昭和27(1952)年9月「京都のある有名な骨董屋さんの御茶席」であり

松下幸之助のPHP活動

英語版『PHP』誌の創刊――PHP活動〈72〉

 英語版『PHP』誌の創刊に向けてPHP研究所に国際部が設置されたのは、昭和44(1969)年5月10日でした。担当として3名が記録に残っています。5月26日、京都本部3階会議室に

松下幸之助のPHP活動

アポロ11号の月面着陸に意見広告――PHP活動〈71〉

 昭和44(1969)年7月20日、アメリカのアポロ11号が月面着陸に成功しました。これを受けて、松下幸之助は「PHP研究所創設者(Founder of PHP Institute

松下幸之助のPHP活動

センチュリー作戦の展開――PHP活動〈70〉

 月刊誌『PHP』を100万部に向けて普及する活動は、「センチュリー作戦」と呼ばれました。これは"明治元(1868)年10月23日、明治天皇即位による改元が行われてから満100年に

松下幸之助のPHP活動

月刊誌『PHP』の自動販売機――PHP活動〈69〉

 月刊誌『PHP』は一時期、自動販売機によって普及されたことがありました。昭和41(1966)年5月ごろ、大阪梅田・阪神百貨店の「電化センター」に第1号機が設置されています(右写真

松下幸之助のPHP活動

月刊誌『PHP』普及のための「軒なみ作戦」――PHP活動〈68〉

 PHP研究所は、昭和43(1968)年、月刊誌『PHP』を社会へ広く普及するため、区域を定めて1軒残らず訪問する「軒なみ作戦」と呼ばれる営業方法を採りました。頭文字を取って「N作

松下幸之助のPHP活動

新築工事修祓式の開催――PHP活動〈67〉

 昭和42(1967)年11月15日、PHP研究所のビルは、竣工を迎えました。アルバム『PHP研究所新築工事修祓式』が残っており、式の詳細を知ることができます。

松下幸之助のPHP活動

地鎮祭・土地に対する礼を開催――PHP活動〈66〉

 PHP研究所は、京都駅八条口に社屋を建設すべく、昭和42(1967)年3月9日、北ノ内町で「土地に対する礼」を行いました。一般でいう地鎮祭であり、PHP研究所では、独自の様式

松下幸之助のPHP活動

京都駅八条口の前史――PHP活動〈65〉

 PHP研究所京都本部の社屋は、昭和42(1967)年11月、京都市南区西九条北ノ内町で竣工を迎えました。さかのぼって京都駅八条口(南口)の歴史を踏まえると、松下幸之助がこの地

松下幸之助のPHP活動

「青春」の言葉の作成――PHP活動〈64〉

 松下幸之助が座右の銘にした『青春』の言葉は、昭和40(1965)年12月に作成されました。12月8日、京都東山山麓真々庵におけるPHP研究会で、幸之助はサミュエル・ウルマンの詩を

松下幸之助のPHP活動

松下政経塾の最初の構想――PHP活動〈63〉

 昭和40(1965)年12月3日、松下幸之助はPHP研究所(京都東山山麓・真々庵)における研究会で、松下政経塾の原型となる「新政治研究所」について初めて検討しました。この時の