松下幸之助のPHP活動

「80日間日本一周PHP友の会ラリー」の実施――PHP活動〈110〉

 PHP友の会事務局は、昭和55(1980)年3月24日から「80日間日本一周PHP友の会ラリー」を実施しました。これは、自動車で全国を回り、各地域のPHP友の会会員と交流を深める

松下幸之助のPHP活動

ハワイでランドボルグと面会――PHP活動〈109〉

 経済ジャーナリストの石山四郎氏は、松下幸之助とアメリカの実業家であるルイス・ランドボルグ氏(Louis B. Lundborg)の共著を企画しました。ランドボルグ氏はスウェーデン

松下幸之助のPHP活動

マレーシア政府から叙勲――PHP活動〈108〉

 マレーシア松下電器(現・パナソニック マニュファクチャリング マレーシア/Panasonic Manufacturing Malaysia Berhad)は、現地資本のハーゲマイ

松下幸之助のPHP活動

初めて中国を訪問――PHP活動〈107〉

 21世紀はアジアの時代になると予見した松下幸之助は、松下政経塾の開塾を前に、海外へ視野を広げました。昭和54(1979)年6月25日~7月4日には中国を訪問しています。

松下幸之助のPHP活動

松下政経塾・財団法人の認可――PHP活動〈106〉

 松下政経塾の設立発起人会議は、昭和54(1979)年1月22日、東京のホテルニューオータニで開かれました(録音№1724)。松下幸之助も出席し、議長に就任しています。

松下幸之助のPHP活動

ガルブレイス氏との対談――PHP活動〈105〉

 昭和53(1978)年9月12日に松下政経塾の構想が発表されたことを受け、多くの知識人やジャーナリストが松下幸之助に面会や取材を申し込みました。同年9月26日に『タイム』誌、10

松下幸之助のPHP活動

松下政経塾設立の記者発表――PHP活動〈104〉

 昭和53(1978)年9月12日、大阪市北区の電子会館で松下幸之助は丹羽正治・松下電工会長(当時、以下同)とともに記者会見を開き、松下政経塾の構想を発表しました(録音№1675)

松下幸之助のPHP活動

無税国家論の誕生――PHP活動〈103〉

 昭和52(1977)年12月10日、月刊誌『Voice』が創刊され、松下幸之助は「21世紀をめざして」を連載しました。昭和53(1978)年7月号掲載の「日本を税金のいらない国に

松下幸之助のPHP活動

月刊誌『Voice』の創刊――PHP活動〈102〉

 昭和52(1977)年12月10日、月刊誌『Voice』が創刊されました。同年6月1日付で準備が始まった記録があります(※1)。6月8日に第1回企画案打合せが行われ、発行部数は「

松下幸之助のPHP活動

高野山における合宿――PHP活動〈101〉

 PHP研究所創設30周年記念出版として、昭和51(1976)年1月『小説・新世紀の日本』が企画されました。この原稿作成のため、同年7月15~28日、高野山西禅院にて合宿が行なわれ

松下幸之助のPHP活動

PHP友の会本部事務局の開設――PHP活動〈100〉

 松下幸之助は昭和25(1950)年7月17日、PHP活動を月刊誌『PHP』発行のみにとどめることを発表し、同年8月1日をもって初期PHP友の会本部はPHP研究所に吸収される形で消

松下幸之助のPHP活動

松下幸之助がPHP研究所所長に復帰――PHP活動〈99〉

 昭和46(1971)年3月18日、松下幸之助はPHP研究所所長を退任しました。以後は『人間を考える』の推敲に尽力し、同年12月8日に脱稿以降は、2年ほど体調を崩しています。錦茂男