松下幸之助のPHP活動

『TIME』の表紙になった幸之助――PHP活動〈42〉

 研究活動を再開して後、松下幸之助が初めてタイムの取材を受けたのは、昭和36(1961)年9月25日、松下電器東京支店でのことです。「タイム社、極東支配人、ドナルド・コネリー氏

松下幸之助のPHP活動

中尊寺に寄付された茶室・松寿庵――PHP活動〈41〉

 茶道に造詣の深い松下幸之助は、現在把握できる限り、上記の茶室を各団体・施設に寄贈しました。

松下幸之助のPHP活動

松下電子工業創立10周年記念式典――PHP活動〈40〉

 フィリップス社との技術提携によって設立された松下電子工業は、昭和37(1962)年10月に創立10周年を迎えました。フィリップスの重役が日本を訪問し、記念式典やパーティーなど

松下幸之助のPHP活動

所員による天皇陵と神社の巡礼――PHP活動〈39〉

 活動を再開して以降、昭和36(1961)年と翌昭和37(1962)年、11月27日の松下幸之助の誕生日には、松下電器社員有志が中心となって誕生日祝賀会が開かれました(PHP活

松下幸之助のPHP活動

大学や寺院への寄付――PHP活動〈38〉

 松下幸之助は、各方面へ多額の寄付をしました。PHP研究所に残された資料によってその一部を知ることができ、ここでは昭和36~37(1961~1962)年ごろの、大学や寺院への寄

松下幸之助のPHP活動

株式会社PHP研究所の誕生――PHP活動〈37〉

 株式会社PHP出版社は、昭和38(1963)年6月ごろ、大阪国税局から「第1期法人税確定申告書」にもとづいて監査を受け、業務の改善を指示されました(PHP研究所誌)。このため

松下幸之助のPHP活動

松下電器からの独立――PHP活動〈36〉

 昭和21(1946)年11月3日に松下電器の一組織として発足したPHP研究所は、昭和37(1962)年1月8日、「株式会社PHP出版社」として独立した会社になりました。『業務

松下幸之助のPHP活動

裏千家との交流――PHP活動〈35〉

 茶道をたしなんでいた松下幸之助は、裏千家と長年にわたって交流を持ちました。PHP研究所の資料にも、その記録が残っています。

松下幸之助のPHP活動

初めての誕生日祝賀会――PHP活動〈34〉

 昭和36(1961)年11月27日、松下電器社員有志が中心となって、松下幸之助の67歳の誕生日祝賀会が新大阪ホテルで開催されました。PHP研究所からは、錦所員が代表として出席

松下幸之助のPHP活動

南禅寺管長による出張講義――PHP活動〈33〉

 南禅寺近くにPHP研究所を設けた松下幸之助は、昭和37(1962)年、南禅寺管長の柴山全慶氏に真々庵へ来てもらい、10回にわたり、仏教の出張講義を受けたことがありました。通常

松下幸之助のPHP活動

松下幸之助がもっとも懇意にした経営学者 平井泰太郎――PHP活動〈32〉

 戦前から松下幸之助と交流した平井泰太郎氏は、明治29(1896)年10月、神戸市生まれ。父の経営する紡績会社が業績不振のため他社に吸収合併されたことが、経営学を志すきっかけに

松下幸之助のPHP活動

昭和の真言宗の代表的人物 野澤密全――PHP活動〈31〉

 高野山において若くして頭角を現した野澤密全氏は、明治31(1898)年9月、香川県生まれ(※1)。11歳で親元を離れて奈良県の信貴山(しぎさん)で寺に入り、14歳の時に僧侶と