松永安左ヱ門の来庵と接待の様子――PHP活動〈49〉
日本における電気供給事業に多大な貢献をした松永安左ヱ門氏(1875~1971・写真)は、松下幸之助がもっとも尊敬した実業家の一人でした。幸之助は、自著の『折々の記 人生で出会
意見広告「税金の適正化を望む」――PHP活動〈48〉
PHP研究所は、昭和39(1964)年7月24日、『日本経済新聞』に「税金の適正化を望む」という広告を掲載しました(上写真)。同年8月1日にも『日刊工業新聞』に同じ広告が掲載
各種セミナーでの登壇――PHP活動〈47〉
松下幸之助は、昭和38(1963)年になると各種セミナーで講演する機会が増えました。それまでは「わしは学者じゃないから話ならいいけどゼミナールは好かん」と言っていましたが(※
池田総理とテレビで対談――PHP活動〈46〉
昭和38(1963)年8月29日、松下幸之助はNHKの番組「総理と語る」に出演しました(写真)。午後7時30分から1時間、テレビジョンではNHK総合、ラジオではNHK第一で放
講演集の発刊と録音テープの整理――PHP活動〈45〉
松下電器会長に就任した松下幸之助は、以前にも増して講話をする機会が増えました。PHP研究所では、幸之助の講話を書籍にまとめていった経緯を記録しています。
真々庵における研究会日数――PHP活動〈44〉
昭和36(1961)年8月に京都市南禅寺横の真々庵においてPHP活動が再開された当初、松下幸之助は頻繁に来庵し、月に10回前後の研究活動が行われました。その後、幸之助の体調は
東京オリンピックでタイム創業者が来所――PHP活動〈43〉
昭和39(1964)年10月11日、タイム創業者で主筆のヘンリー・ルース氏がPHP研究所を訪問しました(上写真)。この訪問について、「行事・来訪者記録帳」や「タイム社編集議長
『TIME』の表紙になった幸之助――PHP活動〈42〉
研究活動を再開して後、松下幸之助が初めてタイムの取材を受けたのは、昭和36(1961)年9月25日、松下電器東京支店でのことです。「タイム社、極東支配人、ドナルド・コネリー氏
松下電子工業創立10周年記念式典――PHP活動〈40〉
フィリップス社との技術提携によって設立された松下電子工業は、昭和37(1962)年10月に創立10周年を迎えました。フィリップスの重役が日本を訪問し、記念式典やパーティーなど
所員による天皇陵と神社の巡礼――PHP活動〈39〉
活動を再開して以降、昭和36(1961)年と翌昭和37(1962)年、11月27日の松下幸之助の誕生日には、松下電器社員有志が中心となって誕生日祝賀会が開かれました(PHP活
大学や寺院への寄付――PHP活動〈38〉
松下幸之助は、各方面へ多額の寄付をしました。PHP研究所に残された資料によってその一部を知ることができ、ここでは昭和36~37(1961~1962)年ごろの、大学や寺院への寄