株式会社PHP研究所の誕生――PHP活動〈37〉
株式会社PHP出版社は、昭和38(1963)年6月ごろ、大阪国税局から「第1期法人税確定申告書」にもとづいて監査を受け、業務の改善を指示されました(PHP研究所誌)。このため
松下電器からの独立――PHP活動〈36〉
昭和21(1946)年11月3日に松下電器の一組織として発足したPHP研究所は、昭和37(1962)年1月8日、「株式会社PHP出版社」として独立した会社になりました。『業務
初めての誕生日祝賀会――PHP活動〈34〉
昭和36(1961)年11月27日、松下電器社員有志が中心となって、松下幸之助の67歳の誕生日祝賀会が新大阪ホテルで開催されました。PHP研究所からは、錦所員が代表として出席
南禅寺管長による出張講義――PHP活動〈33〉
南禅寺近くにPHP研究所を設けた松下幸之助は、昭和37(1962)年、南禅寺管長の柴山全慶氏に真々庵へ来てもらい、10回にわたり、仏教の出張講義を受けたことがありました。通常
松下幸之助がもっとも懇意にした経営学者 平井泰太郎――PHP活動〈32〉
戦前から松下幸之助と交流した平井泰太郎氏は、明治29(1896)年10月、神戸市生まれ。父の経営する紡績会社が業績不振のため他社に吸収合併されたことが、経営学を志すきっかけに
昭和の真言宗の代表的人物 野澤密全――PHP活動〈31〉
高野山において若くして頭角を現した野澤密全氏は、明治31(1898)年9月、香川県生まれ(※1)。11歳で親元を離れて奈良県の信貴山(しぎさん)で寺に入り、14歳の時に僧侶と
あわや3億円の盗難事件――PHP活動〈30〉
京都東山山麓、真々庵において研究活動を再開してから1周年を翌日にひかえた昭和37(1962)年8月17日、PHP研究所において盗難事件が発生しました。当日、松下幸之助は、朝9
ラジオ放送の録音を聴取――PHP活動〈29〉
真々庵時代におけるPHP研究所の研究活動では、しばしばラジオ放送の録音が使用されていました。所員がオープンリールでラジオ番組をあらかじめ録音しておき、松下幸之助と研究員でその
根源社「建立の式典」――PHP活動〈28〉
真々庵において、昭和37(1962)年4月18日、根源社(こんげんのやしろ・写真)の完成を記念して、建立の式典が挙行されました。松下幸之助は、伊勢神宮の内宮の正殿と同じ意匠で
第2室戸台風と月見の宴――PHP活動〈27〉
真々庵において研究活動が再開されて後、昭和36(1961)年9月24日に「PHP研究所開所披露並びに月見の宴」が開催されることになりました。松下電器の松下正治社長を含む同社の
真々庵開所式と第1回朝食会――PHP活動〈26〉
昭和25(1950)年8月以降、活動を主に月刊誌『PHP』発行のみに留めていたPHP研究所は、松下幸之助が松下電器社長を退いた後、昭和36(1961)年8月18日に研究活動を