松下幸之助のPHP活動

『PHP』誌の編集上の改善――PHP活動〈53〉

 活動を主に『PHP』誌発行のみにとどめた昭和25(1950)年8月以降、『PHP』誌の編集は、ほとんど錦茂男所員によって行なわれてきました。真々庵において研究活動を再開してか

松下幸之助のPHP活動

文章の書き方に関する幸之助の指示――PHP活動〈52〉

 真々庵の開所以降、『PHP』誌や他社の雑誌に掲載する松下幸之助の文章は、主にPHP研究所の研究員が執筆していました。幸之助は、その内容と共に書き方についても指示を出した様子が

松下幸之助のPHP活動

『PHP』誌の書店への展開再開――PHP活動〈51〉

 初期の『PHP』誌は取次を通じて書店へ配本されることもありましたが、昭和25(1950)年7月17日に活動を主に『PHP』誌発行のみにとどめて以降は、書店向けの出荷はごく一部

松下幸之助のPHP活動

月刊誌『PHP』の本格的な普及の開始――PHP活動〈50〉

 PHP研究が再開されてから初めて月刊誌『PHP』について会議が開かれたのは、昭和36(1961)年11月14日のことです。「PHP誌の来年度計画について」(研究日誌)という記

松下幸之助のPHP活動

松永安左ヱ門の来庵と接待の様子――PHP活動〈49〉

 日本における電気供給事業に多大な貢献をした松永安左ヱ門氏(1875~1971・写真)は、松下幸之助がもっとも尊敬した実業家の一人でした。幸之助は、自著の『折々の記 人生で出会

松下幸之助のPHP活動

意見広告「税金の適正化を望む」――PHP活動〈48〉

 PHP研究所は、昭和39(1964)年7月24日、『日本経済新聞』に「税金の適正化を望む」という広告を掲載しました(上写真)。同年8月1日にも『日刊工業新聞』に同じ広告が掲載

松下幸之助のPHP活動

各種セミナーでの登壇――PHP活動〈47〉

 松下幸之助は、昭和38(1963)年になると各種セミナーで講演する機会が増えました。それまでは「わしは学者じゃないから話ならいいけどゼミナールは好かん」と言っていましたが(※

松下幸之助のPHP活動

池田総理とテレビで対談――PHP活動〈46〉

 昭和38(1963)年8月29日、松下幸之助はNHKの番組「総理と語る」に出演しました(写真)。午後7時30分から1時間、テレビジョンではNHK総合、ラジオではNHK第一で放

松下幸之助のPHP活動

講演集の発刊と録音テープの整理――PHP活動〈45〉

 松下電器会長に就任した松下幸之助は、以前にも増して講話をする機会が増えました。PHP研究所では、幸之助の講話を書籍にまとめていった経緯を記録しています。    

松下幸之助のPHP活動

真々庵における研究会日数――PHP活動〈44〉

 昭和36(1961)年8月に京都市南禅寺横の真々庵においてPHP活動が再開された当初、松下幸之助は頻繁に来庵し、月に10回前後の研究活動が行われました。その後、幸之助の体調は

松下幸之助のPHP活動

東京オリンピックでタイム創業者が来所――PHP活動〈43〉

 昭和39(1964)年10月11日、タイム創業者で主筆のヘンリー・ルース氏がPHP研究所を訪問しました(上写真)。この訪問について、「行事・来訪者記録帳」や「タイム社編集議長

松下幸之助のPHP活動

『TIME』の表紙になった幸之助――PHP活動〈42〉

 研究活動を再開して後、松下幸之助が初めてタイムの取材を受けたのは、昭和36(1961)年9月25日、松下電器東京支店でのことです。「タイム社、極東支配人、ドナルド・コネリー氏