霊山顕彰会の財団法人化――PHP活動〈98〉
明治元(1868)年5月10日、若くして命を落とした幕末の志士549柱の霊を祀るよう、明治天皇よりご沙汰があり、最初の官祭招魂社(現京都霊山護国神社)が建立されました。志士の墓な
伊勢神宮崇敬会会長――PHP活動〈97〉
松下幸之助は戦前に、伊勢神宮に参拝する機会がありました。京都の平安神宮や八坂神社に比べて伊勢神宮が「清楚」であったので、神社のイメージが180度変わったと言っています(速記録№4
神道大系編纂会会長――PHP活動〈96〉
昭和50(1975)年11月13日、松下幸之助は神道大系編纂会会長に就任しました。松下電器で事務を担当した松下電器常務取締役(当時)の小川鍛(きたえ)氏によれば、戦時中に108巻
奈良県明日香村名誉村民――PHP活動〈95〉
全盲の鍼灸師であった御井敬三氏の尽力により、昭和46(1971)年4月に財団法人飛鳥保存財団(現公益財団法人古都飛鳥保存財団)が設立され、松下幸之助が初代理事長に就任しました。翌
矢野宗粋の逝去――PHP活動〈94〉
昭和49(1974)年9月9日、大阪の四天王寺において、茶人であった矢野宗粋氏(1893~1974)の告別式が執り行なわれました。享年81。松下幸之助は弔辞を読んでいます。
ソニー盛田昭夫氏との対談――PHP活動〈93〉
昭和50(1975)年7月31日、東京のホテルオークラにおいて、ソニー会長の盛田昭夫氏(当時)と松下幸之助の対談が行なわれました(写真)。
『崩れゆく日本をどう救うか』――PHP活動〈92〉
松下幸之助は昭和49(1974)年12月に『崩れゆく日本をどう救うか』を発刊しました。記録が残る限り、発案から3カ月程度で発刊しており、オイルショックという時事的な話題に合わせた
アーノルド・J・トインビー『日本の活路』――PHP活動〈91〉
イギリスの歴史学者アーノルド・J・トインビー氏(Arnold Joseph Toynbee)(※1)は、昭和42(1967)年11月27日、夫婦で真々庵に来庵しました(写真)。松
メーテルリンク『幸福の青い鳥』――PHP活動〈90〉
PHP研究所は社会活動の一環として、昭和49(1974)年10月から3年間、広瀬友久氏による映画『青い鳥』の上映活動を支援しました。広瀬氏は明治28(1895)年、長崎県の生まれ
財団法人PHP研究所の構想――PHP活動〈89〉
PHP研究所は昭和48~9(1973~1974)年ごろ、財政基盤の確立をはかると同時に、研究部門を独立させて財団法人にする構想を練っていました。今日残された資料から概要を知ること
月刊誌『PHP』300号記念特大号――PHP活動〈88〉
月刊誌『PHP』は昭和48(1973)年5月号で通巻300号を迎えました。これは「300号記念特大号」とされ、内容、形式共に特別の仕様となっています。
『小さいサムライたち』の発刊――PHP活動〈87〉
昭和46(1971)年から、PHP研究所は一般書籍の発刊を開始しました。吉岡たすく著『小さいサムライたち』(写真)について、発刊以前の記録が残っています。